世界遺産 イタリア ヴィッラ アドリアーナ
A.D.2世紀 エジプト・ギリシャ・ローマ建築最良の要素を組み合わせて建設された
(古代地中海世界の物質文化最高の表現)
この建築からはルネッサンス・バロック期の古典建築の要素を見出すことができ、また19〜20世紀建築やデザイナーにも多大なる影響を与えている。もともとは共和国の別荘であり、ハドリアヌスの妻ヴィビア・サビーナの財産であった。首都から少し離れ、権力の象徴であった点でルイ14世のヴェルサイユと比較されることがある。
A.D. 138年 ハドリアヌスが亡くなり、後継者たちはローマに居住することの方を好んだが、この別荘は拡大・装飾され続けた。
コンスタンティヌス1世は、中でも良い作品をビザンティンに持って行ったと言われている。
のちに蛮族の侵略者によって別荘が略奪・放置され、建設業者や石炭製造業者の採石場として使われていた。
15世紀 教皇ピウス二世によって再び脚光を浴びる
16世紀初頭 教皇アレクサンデル六世の命により、発掘作業が行われる
エステ家の枢機卿イッポリート二世が近くに別荘(ヴィッラ・デステ)を建設する際、建築家リゴリオによる監督の下、装飾芸術を取得するべく発掘を続けた。